「イクメン」という言葉が嫌いな私がそれでも我慢する理由
<Tiwtterコラム>
「リケジョ」という言葉にムッときてる女性の皆さん、それこそが私が「イクメン」と呼ばれるときの気持ちです。
— Hiroyuki Takenaga (@nynuts) 2014, 2月 1
「リケジョ」とか「イクメン」という言葉には圧倒的なマジョリティ側の視点を感じるのよねえ。マジョリティがマイノリティのあるグループを指して「あ、がんばってるね。よしよし」みたいな。
— Hiroyuki Takenaga (@nynuts) 2014, 2月 1
◇先のツイートで、「リケジョ」や「イクメン」はマジョリティ側の「上から目線」の言葉、みたいなこと書いたけど、勝負はここからなの。たとえば私は「イクメン」だけど、そう呼ばれるのはイヤだし、言葉も嫌い。でもその言葉の存在は許す。なぜなら同呼び名は育児業界に貢献してると思うから。
◇本当は「イクメン」なんて言葉ないほうがいいわけでしょ。父親が育児すんの当たり前だし。でも今の日本社会はそうなってない。だからこそ誰かが「イクメン」という言葉を作り出して、父親育児にスポットライト当てたんだと思う。なので私は「イクメン」という言葉がなくなるまで我慢することにしたの。
◇「イクメン」という言葉は実際、育児業界に貢献したと思う。では「リケジョ」はどうなのか。理系女子にスポットライトを当てることによって「私もリケジョに!」と思う子供たちがいるかもしれない。確かにチープなネーミングだし、男たちの見下し感満載なんだけど、「イクメン」みたいに貢献するかも。
◇ここで皆さんに聞きたいの。「リケジョ」という言葉は「イクメン」的に理系女子増加に貢献するかもしれないわけね。それでも使っちゃダメ? 私が「イクメン」という言葉を我慢してるみたいに、「リケジョ」という言葉がなくなるのを待つのもダメ? 理系女子が普通になる日まで拳を固くして待つ、と。
*2014年2月1日