「I am different(私は違う)」という授業
<Twitterコラム>
◇うちの9歳児が現地校の1年生ぐらいのときに
「I am different(私は違う)」
という授業があったんですね。他のクラスメイトたちと比べて、自分が何が違うのかを紙に書いてそれぞれ発表するんです。みんな喜んでやるんですね。そして自分の違いを堂々と発表する。
◇アメリカ人は小さい頃から「I am different(私は違う)」みたいな授業をやってるから、自分とは違うものも認める...なんていうキレイ事は言いません。アメリカにだって差別主義者はたくさんいるし。でも同時に「みんな違ってみんないい」って本気で思ってる人もたくさんいるんです。
◇日本の小学校では「I am different(私は違う)」みたいな授業ってあるんでしょうか。クラスの前で他の子との違いを発表させる、みたいな。そういう授業が普通にできるようになってたらいいですよね。でも日本社会自体は未だに「私は同じです」と無理やり言わせてるように見えますけど。
*2014年5月7日
アメリカン子供人生のバイブル
<Twitterコラム>
◇うちの10歳児に教えてもらったこの本なんですが、オススメです。タイトルはいまいちピンと来ないんですけど、おそらく本書はアメリカでの子供人生のバイブルみたいな本ですね。この国で子供やって行くのに必要な知識が網羅されてるんです。
◇このアメリカ人の子供向けバイブル本ですが、その内容の充実度がスゴいんですね。ムーンウォークのやり方からパスタの茹で方、フリスビーの投げ方、自然の中でのサバイバル法などなど。こういうタイプの本の日本語版があったらぜひ欲しいですね。
◇これからアメリカに子連れで赴任する日本人家族とかに、本書をプレゼントしたらスゴく喜ぶと思いますよ。子供たちの心の準備的に。あと、この本には簡単な折り紙の作り方も収録されてます。「ORIGAMI」はすでにここのキッズ文化の一部ですよね。
*2014年11月22日
マンガを見下す人たち
<Twitterコラム>
◇ここ10年ぐらい、私はいろんな所で「マンガの扱い」についてモメてきました。私のスタンスは:
「海外の日本語補習校の図書室にはマンガも置いたほうがいい」
「海外の日本語教師はもっと授業でマンガを教材として使ったほうがいい」
なんですね。でも「マンガなんて」って人もいるんです。
◇日本国内のことは分からないんですが、海外では未だにマンガをある意味「見下してる」日本人がいるような気がします。日本語教師の中にも。これだけマンガが優れた日本語教材であることが証明されてるにも関わらず、
「マンガなんて」
という見下し感が21世紀になった今でも残ってるんですね。
◇私ですね、
「なんで未だにマンガを日本語教材として見下す日本人がいるんだろ?」
とか思うんです。ほれ、マンガって読むの面白くて楽しいじゃないですか。それがいけないのかなあと。つまり「苦しまないと学べない」「小難しいほうがありがたい」的な日本人にはなかなか受け入れられないと。
*2014年11月23日
「自分がInspireされた人に手紙を書く」プロジェクト
<Twitterコラム>
◇うちの10歳児が通う現地校のライティングのクラスで
「自分がInspireされた人に手紙を書く」
というプロジェクトをやってたんですね。この「Inspire」って「鼓舞する/発奮させる」という訳になるんですが、でもなんかイマイチ。やっぱり英語で「Inspire」なんですよね。
◇「自分がInspireされた人に手紙を書く」プロジェクトなんですが、書く相手は誰でもいいんですね。アメリカ人じゃなくても。うちの10歳児が選んだのは日本人漫画家。最初に英語で手紙を書いて、それを先生に見てもらってから日本語に訳しました。
◇うちの10歳児がInspireされたのは、このマンガを書いた方です。現地校の先生にこれを見せながら、いかに自分がInspireされたか説明したと。先生、ビックリしたでしょうね。でも「Great!」と言ってくれたのが、いかにもアメリカ。
◇うちの10歳児の場合、英語で書いたものを日本語に訳し(私は手伝わずに自分で)、それを一応先生に見せ(読めないけど)、封筒に入れ、切手を貼って、先生が投函したそうです。
*2014年11月27日
「クリティカル・シンキング」な日本の国語授業って?
<Twitterコラム>
◇特にここ10年ぐらい、私はアメリカとヨーロッパの教育がどっちの方に向かってるかをかなりユルく観察してました。で、現時点では両者とも例のクリティカル・シンキング、つまり
「多様な方法で集めた情報を概念化し、応用し、分析し、総合して評価するスキルのセット」
に収束してきてるなと。
◇最近日本でIB(国際バカロレア)っていう教育プログラムが話題じゃないですか。あの出所ってヨーロッパですけど、アメリカにも結構入ってきてて、かなり影響を与えてると思うんですね。結果として、ヨーロッパとアメリカが目指す「教育」スタイルがだんだん似てきてるのではないかと。
◇日本の国語教科書を見てると、ヨーロッパやアメリカが向かおうとしてる「クリティカル・シンキング」を意識してるのが何となくわかるんですね。10周遅れぐらいですけど。ただ、これから日本もそっちの方にどんどん向かっていくと思うんです。最近のIB流行りがそれを象徴してますよね。
◇皆さん、「クリティカル・シンキング」をベースにした小中高の日本語の授業ってどうなるか想像できます?実は海外にはすでに存在するんですね。たとえばIB(国際バカロレア)を採用してる学校の日本語授業。
「未来の日本の国語授業って、こうなるんじゃないかなあ」
とか思うんですね。
◇実は私、約20年前に「未来の日本の国語授業」らしきものを見学したんですね。つまり「クリティカル・シンキング」をベースにしたIB(国際バカロレア)の日本語授業。そのときに書いた文章がこちら。
*2014年11月11日
「どこで覚えたそんな曲?」症候群
<Twitterコラム>
◇海外に住む日本人親の皆さんにお聞きしたいんですが、子供たちの
「どこで覚えたそんな曲?」症候群
ってないでしょうか。聴かせてもないのに、子供たちが日本の古い歌謡曲を知ってたりとか。海外に住んでると、昭和の曲とか聴く機会ってホントないんですよねえ。店行っても流れてないし。
◇たとえば、うちの10歳児の「どこで覚えたそんな曲?」の代表例は
・近藤真彦「ケジメなさい」
・クリスタルキング「大都会」
日本語補習校の先生とかにも「それ、どこで覚えたの?」ときかれるみたいです。まあ普通に考えたら、犯人は私しかあり得ないんですが、教えた覚えはないんですね。
◇アメリカ生まれのうちの10歳児がなぜか知ってる、近藤真彦の「ケジメなさい」ですが、彼にどこで覚えたか聞いてみたんですね。
「ほら、お母さんが何か出しっ放しにしてるときに、お父さん片付けながら歌ってるよ。"ケ〜ジ〜メのないア〜ナ〜タ"って」
「マ、マジで?」
◇「大都会」に関しては、うちの10歳児によると、マンハッタンに出たときに私が歌ってるらしいです。道を歩きながら、それも結構デカい声で。大都会に出たときに「大都会」歌うと。わかりやすっ!
◇私がマンハッタンに出た際に、無意識のうちにクリスタルキングの「大都会」を歌ってしまう件ですが、よく考えたら、昔「ザ・ベストテン」のセットのバックグラウンドがマンハッタンの摩天楼だったような気がするんですよねえ。だからそのときに刷り込まれたものが今、条件反射で出てると。
*2014年11月12日
小学校から「BE THE DIFFERENCE」なアメリカ
<Twitterコラム>
◇隣町の小学校にこんなサインがあったんですね。
「BE THE DIFFERENCE」
こっちの現地校では1年間のスローガンみたいなものを設定してるところもあって、同小学校ではこれ。直訳すると
「"違い"であれ」
かな。
◇この小学校の年間スローガンをもう少し丁寧に訳すと
「小さいことでもいいので、何かを良い方向に変えていく主体であれ」
みたいな感じでしょうか。同小学校ではこのテーマについて年間を通して学ぶんですね。小学1年生から6年生まで。
◇アメリカ人の子供たちに
「BE THE DIFFERENCE」
と言う場合は、別に「将来大人になったときに社会に変革をもたらせ」みたいなデカい意味だけじゃないんですね。ホントに今の身のまわりのこと、たとえば友達がイジメられてるのを許さないとか、そういうのも含むんです。
◇私はどうしても、先日からやってる日本の国語教科書の
「小学校時代から悲しみや不条理を受け入れる教育」
問題と、このアメリカの小学校の
「BE THE DIFFERENCE」
を比べちゃうんですよねえ。その根底にある考え方を。
*2014年11月9日
クラスメイト女子の似顔絵の胸はふくらませるべきか
<Twitterコラム>
◇うちの9歳児が、同じクラスの女の子に「似顔絵描いて」と頼まれたらしく、家に帰ってからシコシコ描いてた。
「お父さん、胸を丸く描いたんだけど大丈夫かなあ」
「胸?」
「そう、オッパイ」
「オッパイ?小学4年生で?ホントにこんなにふくらんでるの?」
「もっと大きい」
「!?」
◇同じクラスの女の子の似顔絵を描いたうちの9歳児。顔だけ描けばいいものを上半身まで入れて胸までふくらませてあった。
「お父さん、胸を丸く描いてその子に怒られないかなあ?」
「それ微妙だわ。お父さん、乙女心わかんないから、お母さんに聞いて」
こういう問題解決までやるのか、親は。
◇問題は「胸」ばかりではなかった。
「その子、顔にFreckle(そばかす)あるのね。それも描いたほうがいい?」
「どのくらいあるの?」
「100コぐらい」
「100コ?!」
「3コぐらい描いたらいいかなあ?」
「3コ?!いや、それもお母さんに聞いてくんない?」
色々疲れた。
*2014年4月2日
パンチしそうになったイクメン記事
<Twitterコラム>
◇お昼にRTした記事。「この話美し過ぎて、コンピュータの画面パンチしそうになりました」って書いたんだけど、この旦那さんの人間力ってどこから来るんだろ。私だったら完全にかみさんへの怨念をブチ撒けてるけど。
家事が苦手で仕事が得意な妻 夫婦関係の終着点 :日本経済新聞
◇家事育児に関して役割分担した奥さんがぜんぜんやらないから自分でみんなやってあげるって、この旦那さん「仏様」要素強すぎだろうに。私ならブチ切れまくって、かみさんの夕飯に毎日ハナクソ入れるよ。デカいやつ。
◇こういうイクメンに関する記事は、そろそろ「うまく行かなかったイクメン」のケースも同じ記事内で取り上げる時期に来てると思う。たとえば妻がホントに何もしないので離婚したとか、キレて夕飯に鼻クソ入れたとか。
◇たとえば、家事育児を妻に任せっきりにしてる夫に対して、女性陣あるいは日本社会はもっともっとブチ切れていいと思うんですね。「ちゃんとやれよ」と。この問題は「男女」を持ち込むからややこしくなるんですけど、今の時代、「男女」カップルばかりじゃないわけでしょ。パートナーとしての子育て。
◇「男女」は横に置いといて、「パートナー」として考えた場合、当然家事育児はシェアすべきですよね。まあ家事育児は合う合わないがあるので、役割分担の強弱は付けるにしても、でも基本は「シェア」。私が気に入らないのは家事育児を片方の親に任せっきりにすること。それって任されるほうは大変なの。
◇片親に家事育児を丸投げした場合、やっぱストレスって溜まるわけ。で、そのストレスの捌け口が「子供」になる場合があるのね。それは絶対避けたい。だから両方の親が家事育児に足を突っ込んでおく必要があると。家族全体の精神バランスを考えると、それが一番健康的だと思う。丸投げはやっぱダメよ。
*2014年4月2日
「肌の色や髪の毛の差別って厄介だと思わない?」
<Twitterコラム>
◇本日、肌の色や髪の毛の差別に関して、朝からかみさんと喧嘩いたしました。
私「肌の色や髪の毛の差別って厄介だと思わない?」
「何が?」
「いや、白い肌やストレートな髪を求めるよう社会が圧力かけてるわけでしょ?」
「そんなことはない」
「は?前言ってたことと違うじゃん!」
◇私「子供の頃、ストレートパーマかけられるのイヤだったって言ってたじゃん!」
「あ、あれ?いや、ストレートにするほうがいい。洗うのラクだから」
「なに?」
「ミシェル・オバマもカツラだし、みんな好きな髪にすればいい」
「いや、好きじゃなくて社会が圧力かけてない?」
「ない」
◇私「だったら肌の色はどうよ?肌を白くするクリームみたいなの売ってるじゃん」
「あれもOK。だって肌が白いほうが仕事も見つかりやすいし」
「だからそれがダメだって言ってんだよ!つーか、なんで日本人のオレが怒ってんだよ!」
という会話があったことをご報告いたします。
*2014年4月20日